Enhanced Life based on Passion and Chance
パーソナルキャリアコーチ石川英明のブログ
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キャリアの考察を軸に、気の向くままにテーマを選んで思考を深めていくブログです。
■2011年と2012年。
category : 未分類
みなさん、明けましておめでとうございます。
最高の2012年をみなさんと創っていきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2012年に大切にしていきたいこと、
こういう社会を創造していきたいと思っていること、
そういうことを書きたいと思います。
この記事もきっかけになりつつ、みなさんと繋がりながら、
よりよい未来を共創していきたいなと、
本当に強く思います。
今、都ホテルのラウンジにいるのですが、
琴が演奏されています。
本当に美しい音色、調べ。
幸せな正月です。ありがとうございます。
そんな中で、いろいろと書いてみたいと思います。
■”自分だけ”より”みんなも”
■”今だけ”よりも”子も孫もひ孫も”
この二つが、今最も大切にしたいものと感じています。
うちの家族だけじゃなくて、隣の家族も。
うちの会社だけじゃなくて、あっちの会社も。
東京だけじゃなくて、福島も。
うちの国だけじゃなくて、地球の裏側の国も。
今だけじゃなくて、子供も、そのまた子供も。
■所有よりシェア
何かを持つこと、所有すること、独占することよりも、
共有し、都合し合い、分かち合うことの方がカッコいいし、美しい、
そういう考え方を大切にしたいと思います。
所有や独占は、限りある天然資源、地球と言う家を、
自分だけのものにしようとするカッコ悪い欲求で、行為で、
多くのモノを公共財として、使いたい人が、使いたいときに、
使いたいだけ使うという考え方の方が先進的だし、カッコいい。
そういう考え方をしてみようと思います。
例えば「マイカーを所有する」ということよりも「シェアカーを使う」という生き方。
所有している車で移動するよりも、電車やバスを使うという生き方。
これだけで空気汚染は相当減るだろうし、
その方がカッコいいと思うのです。
使いもしないモノを、自分のところに名誉欲や独占欲のために溜め込んでいるのは
カッコ悪くて、出来る限り分かち合おうとする生き方がカッコいい。
もっと広げて言えば、優秀な部下の才能を自分のためだけに囲おうとする上司よりも、
その才能を社会全体に分かち合おうとする上司の方がカッコいい。
あるアイデアを自社の利益のためだけに独占しようとする会社よりも、
社会全体に共有しようとする会社の方が素敵。
「たくさん持っている人間」よりも「度量の大きい人間」の方が敬意を払われる。
その為には、私たち自身が、
「より多くを持ち、優越感を持ちたい」という気持ちを
少しづつ手放していったらいいのだろうと思います。
才能、アイデア、資産、それだけが大切にされるのではなくて、
才能やアイデアや資産を、どんな素敵な使い方をしているか、
そこにもっと着目する生き方をしていきたいと思います。
■成功より成長
私は努力は大切なものだと思っています。
よりよい未来を実現するために努力する。
実現したい未来の実現のために努力する。
努力なしに、結果だけ手に入れることはできないだろうと思うのです。
しかし、今は「結果」だけに注目され過ぎているように思います。
そして、その結果と言うのは「他者と比較して高い成果を出したかどうか」
によって、結果の良しあしが判断される。
もし全ての人間(や動植物)が、同じ才能を持って生まれ、同じ環境によって育つのなら、
「結果」だけで、努力を測ることはできるでしょうけれども、
実際には、生まれは不平等です。
私のように、平和で豊かな日本に、五体満足に生まれる人間もいれば、
地雷の埋まった土地に生まれ、すぐに孤児になる人間もいる。
津波によって家族を失う人もいます。
私たちの前提は平等なものではありません。
でも努力が大切だとしたら、それはどのように測られるとよいでしょうか?
私は「その人の昨日と比較して」だと思います。
能力が10の人が11になる。
能力が100の人が110になる。
どちらも素晴らしく尊いこととして生きる。
障害を持って生まれた人は、
経済的な物差しでいけば「生きているだけでマイナス」ということになってしまうかもしれません。
でもそんな物差しが素敵だと思う人は、いないんじゃないかと思います。
ってことは、経済的な物差しと言うのは、
一つの物差しに過ぎないし、一番素敵な物差しでもなく、
一番最重要視する物差しでもないのではないでしょうか。
必死に闘病生活を送り、
それでも病が進行していく人、
そういう人を「結果が出ていない」からと言って価値がないとする価値観よりも、
一人一人が、自分の生まれた状況、環境の中でどう生きているのか、
そこに着目していく価値観の方が素敵だと思うのです。
だから、結果を他者と比較しての成功ではなくて、
その人自身の努力や成長そのものを大切にする。
親として、子供の成功を願うかもしれません。
教師として、生徒の成功を願うかもしれません。
上司として、部下の成功を願うかもしれません。
チームメンバーとして、チームの成功を願うかもしれません。
それを否定はできないようにも思いますが、
それらを超えて、
親として、子供の成長を願う。
教師として、生徒の成長を願う。
上司として、部下の成長を願う。
チームメンバーとして、チームの成長を願う。
周りと比較することを手放して、
昨日と比較することを大切にするだけで、
多くの人の自尊心が大切にされ、
平和で、リスペクトし合う世界に近づけるように思うのです。
■実績より意志
今、特に企業、仕事といった領域においては「意志よりも実績」が
とても重視されていると思います。
例えば、
「広告の仕事の経験はないけど、どうしても広告の仕事がやってみたい!」
という人と、
「広告の仕事で実績はすごいあるけど、広告の仕事はもう飽きてやりたくない」
という人、
採用するならば、後者を採用するということに、
その価値観が現れています。
この実績主義が、人から意志を奪い、意欲を奪っていると感じます。
人を過去に縛り付け、未来への意欲を発露させないようになっているのです。
これを覆そうとすると、
「約束を破る」
「恩知らず」
という批判も受けます。
でも変化し、成長することが生命の自然さだとしたら、
この考え方は、とても不自然なモノだと思います。
子猫を買って「子猫のままでいろ。子猫がかわいいから買ったんだから」
というのと変わらない不自然さだと思います。
枯れかけている巨木に水をやり、
新しい芽には水をやらないというような、不自然さだと思います。
子供が小学生の頃「大人になったらプロ野球選手になる!」と言っていて、
中学生になったら「将来、政治学者になりたい」と言ったとして、
それを批判する人は少ないかもしれません。
でも、ある一定以上の年齢に達すると、
夢や目標が変化することは不誠実なことのように扱われる傾向があると思います。
しかし、いくつになっても人は変化できるし、成長できるし、
また、自然とそうなるものだろうと思います。
確かに、一度決めたことを生涯やり続けることは素晴らしいことかもしれません。
カッコいいかもしれない。
でも「変わるのが当たり前」で「過去の実績よりも、未来への意志」を
大切にし合うほうが、私たちはもっと幸せに付き合えるんじゃないかと思うのです。
■個人と全体のバランス
リヴァタリアン。
コミュニタリアン。
個人の権利を絶対視するような新自由主義と、
全体性を大切にする共同体主義、
これはどちらもバランスを欠くと、
一方は、とにかく好き勝手に生きればいいという利己主義に、
一方は、個人の尊厳を無視する全体主義に、
陥ってしまうもののように思います。
私たちは「個か?全体か?」という問いを手放して
「個も全体もHappyであるにはどうしたらよいか?」という
問いを大切にした方がいいんじゃないかと思います。
個人的には、今の日本は、戦時中の全体主義への反省から、利己主義の方へ振れてきていて、またその反動から全体主義の方へ揺り戻しが起きているような感じがしています。
その揺り戻しの中で「全体を考える」「公共性」「繋がり」「絆」「分かち合い」といった美しい言葉が多く使われるようになってきていて、
その時に私たちが気をつけた方がいいと思うのは、
「個の尊重」「一人一人の持ち味」といったものも捨てないようにすることだと思います。
「全体を大切にすべきだ」となって、多数決の世界に陥ると、
それは多様性を失い、独裁的にもなりかねません。
その中で、私は「生成していく」「対話していく」ということを
大切にしたいなと思います。
民主主義が単なる多数決ではないのは、対話に開かれているからだと思います。
■楽しさ便利さより誇り
コンビニエンスストアは確かに便利です。
マイカーでの移動も便利です。
TVをなんとなく見ることは楽しいかもしれない。
便利さや楽しさを完全になくしてしまったら、
それはそれでつまらない世界かもしれませんし、
完全になくす必要はないだろうと思います。
けれど、一人一人が、全員が、
自分だけの楽しさや便利さを判断基準に、
物事を選んでいったらどうなるのでしょう?
マイカーを使わずに、電車で移動すれば、
空気汚染は減ります。
確かにそれはちょっと不便なことかもしれません。
でも「自分が誇りに思える選択は?」と自分に聞いて、
選ぶ選択肢はどれでしょうか?
自分の子供や孫に「うちの親は、50年後100年後の世界のことも考えて、
マイカーよりも電車を使うことを選んでいる人だ」と言われるのと、
自分の子供や孫に「うちの親は、自分の便利さのために、
僕らが生きていく世界を平気で汚す人だ」と言われるのと、
どちらの生き方をしたいでしょうか?
ちょっと不便かもしれない。
でもそれは、カッコいいし、誇らしい。
楽しさや便利さよりも、誇らしさを自分に問い続けた時、
自分の人生の幸福度は下がるでしょうか?上がるでしょうか?
私は、誇りを大切にして生きていきたいなと思います。
■批難より反省と行動
政治家が悪い、電力会社が悪い、マスコミが悪い、
まぁ確かに、悪いところはあるのかもしれませんが、
一番怖いと思うのは「彼らが悪いのであって、私たちは何も悪くないし、
彼らが変わらない限り、良くならない」という思考に陥ってしまうことです。
私は、正直なところ、今のマスメディアの報道姿勢には疑問を感じています。
それは、私たち市民から主体性と思考力を奪っていると思うからです。
マスメディアは権力を批判します。(もしくはしているように見えます)。
「いつになったら日本の政治は良くなるのでしょうか!?」
なんて、公共の電波で連呼する。
これは私は一種の洗脳だと思います。
このセリフから私たちが受け取るメッセージは
「政治が良くならなければ、日本は良くならない」
「すべては政治家が握っていて、私たちは無力な存在である」
こういうメッセージに染め上げられているように思うのです。
でも、政治家を選んでいるのは、私たちの投票という行為ですし、
電力を使っているのは、家庭人としての私たちと、産業人としての私たちです。
「企業が、私利私欲に走るからいけないんだ」と批判する人もいます。
企業に勤めたことのない、国立大学の大学教授から言われたりすると悲しくなります。
でもその企業で働いているのが私たちですし、
その企業の利益によって、税金があり、税金によって国立大学は運営されていたりする
わけです。
私たちは、今の世界をより良い未来に導いていける、
そのために私たちにできることがある、
厳しく言えば、私たちは片棒を担いでいるのです。
政治家も悪いかもしれませんが、投票している(ないしはしていない)のは私たちですし、
電力会社に問題があるかもしれませんが、その電気を使っているのは私たちですし、
企業は私利私欲に走っているかもしれませんが、その企業を構成しているのは私たちですし、
その企業の商品を購入してしようとしているのも私たちです。
でもそれは、逆に言えば、
私たちが変われば、変えられるってことだと思うのです。
だから批判して、批難して、世界のひどさを嘆くよりも、
自分たちの責任を見つめて、反省すべきは反省して、行動していくことの方が、
カッコいいし、素敵だし、誇らしいあり方だと思うのです。
■抜本的解決よりも生成
■”犯人”より”システム”
私は一時期保険代理店の仕事をしていたことがありました。
生命保険業界を変革することを理念としてスタートしたベンチャー企業でした。
古くからある生命保険企業の収益、収益分配構造は、
物凄く単純化して言ってしまえば「高い保険料と、高い社員の給料」になっていて、
インターネットを有効活用すれば、もっと人件費を抑えて、
顧客にとってもっと安い保険料で保険を提供できるようになるだろう、
そんなことを考えていました。
そういう考えからスタートしたので、
古くからある保険の大会社を目の敵にしているようなところがありました。
「悪いのは、今の保険会社だ」というわけです。
しかし、保険業界の歴史を調べていくうちに、
保険会社がどういう経緯や意図で発祥し、発展したのか段々と知識が増えていきました。
これも物凄く単純化して言うと、
「戦後、未亡人のために、国策として、雇用を生み出すために保険会社を作った」
という側面があったことを知りました。
つまり「人件費を払う」と言うこと自体が、一つの保険会社のミッションだったのです。
それを知ってから、私たちのミッションは
「今の悪い保険会社をやっつけろ」ではなくて、
「これまで雇用を生み出してくれた保険会社に感謝しつつ、
時代の変化に対応できるように、保険業界の変革をソフトランディングさせていく」
ということに意識が変わりました。
確かに、今この瞬間だけを見ると、高い保険料、内訳として高い人件費を、
保険加入者が払っている、損をしているようにも見えます。
しかし、それは一種の相互扶助の形だったとも言えます。
少し多く保険料を払って、未亡人になってしまわれた方たちの雇用をささえていたのだと。
この構造をいきなり、急速に解決しようとすれば、
失業者が大量に出て、逆に社会が混乱することにもなりかねません。
だから、時間をかけて一歩づつ、構造の変革を推進し続けていく、
そういうことが大事なのだろうと思いました。
今社会に問題はたくさんあるかもしれません。
「抜本的解決」をしたくなるかもしれません。
私自身は、そういう抜本的解決と言うものに憧れて、
外資系のコンサルティングファームに就職したのです。
でも最近、本当の政治とか、経営とか、社会変革とかそういうものには、
歴史を知り、過去への感謝を持ち、その上で希望を持ち、
未来をステークホルダーと生成し続けるものなんじゃないかという気がしています。
■無知を取り払う
私が、3.11から感じたことは、とにかく自分の無知さ加減でした。
日本の財政問題も、エネルギー問題も、基地問題も、
何も知らなかったし、何も考えてこなかった。
情報としては触れていたかもしれないけれど、
自分の生き方と結び付けて考えていたことはなかった。
3.11ということがあって初めて、
福島に原発があり、原発によって自分の生活が支えられているということを知りました。
知ることは苦痛が伴うかもしれません。
それは、知ることによって責任が生じるからだと思います。
まさにゴアの「不都合な真実」です。
知ってしまえば、知らん顔をしているのは無責任な生き方になる。
環境問題を考えれば、
車に乗ることも、工場で生産されたものを使うことも、
お皿を洗剤で洗うことすら、
いちいち考えないといけない。
食糧問題、飢餓問題を考えれば、
ファーストフードを食べることも、
肉を食べることも、
無意識には出来なくなってしまう。
正直、面倒くさい。慣れないことをしなくてはならなくなる。
ただそれでも、自分の行為が、どういう範囲に、どういう影響を与えてしまうことなのか、
それを知ることから、目を背けることはやめたいと思います。
自分の子供に
「お父さんは、都合の悪いことからは目を背けて、僕たちや、僕たちの子供たちに、
その負債を押し付ける生き方をしてきたよね」
とは言われたくないのです。
そっちの方が、よほど苦痛だろうと思います。
だから、自分の行為、不行為の影響を知ろうとする姿勢でいたいと思います。
その方が、誇らしい生き方だと思うのです。
★で、どうする?
Think Global、Act Local。
「大きな視野で考えて、今自分に出来ることからやっていく」
ハッキリ言って、いきなり聖人にはなれません。
車も使うでしょうし、コンビニも使うでしょう。
お酒も飲みます。
でもできることからやっていきたいと思います。
私は、就職活動というものに10年ほど携わってきた人間として、
まず日本の採用・就職というものの進化に取り組んでいきます。
それから「知ることを」を続けるために、
環境問題や財政問題など、様々な問題について
本を読む、レポートを読みたいと思います。
(これらを仲間たちと協働してやっていこうと思います)
今年は、多くの方と、
実現したい未来について語り合いたいと思いますし、
その為の機会を、積極的に創っていきたいと思います。
これを読んでくださった方も、
お一人お一人が、ご自身の生活の中で変化を創造し、
それについてまた、語り合う機会を持たせていただきたい、
そんな風に思っています。
来年の正月には
「2012年は、2011年の体験も糧にして、
2013年への礎をしっかりと固めてこれたなぁ」
と振返れる、そういう1年間にしたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
被害者パタンと救世主思考
category : 未分類
私たちは不自由と嘆き、責任から逃避します。
「私には責任がない」ということは、自分は影響を受ける一方で、自分ではどうしようもない、自分は無力であり、一方的な被害者であると自分を規定することになります。
私には責任がない、と言ってしまうと、私たちは対象となるものに影響を与えられるという、そのパワー(自由)を失ってしまいます。
私たちは、自由を手放す代わりに、
責任から逃避するということを選んでいるのです。
環境問題は、自分一人ではどうしようもない。
だから、環境問題に自分の責任はない。
日本の財政問題は、自分一人ではどうしようもない。
だから、日本の財政問題に自分の責任はない。
そうして、私たちは、問題があっても放置して、
「救世主思考」になっていきます。
「きっと、素晴らしいリーダーが突然現れて、ユートピアを実現してくれるに違いない」
人類の歴史で、一度でも救世主がユートピアを実現してくれたことがあったでしょうか?
私たちは責任を引き受けることで、
自分たちの力強さを復活させることができるのではないでしょうか。
確かに、複雑で難しい問題がたくさんあります。
それでも、放置すれば、
情報を持っている側、既得権益を持っている側、
能力の高い側に、いいように使われてしまうのです。
「私には責任がある」と認めて、初めて影響を与えられる自由を得られるはずです。
私たちは自由に、幸せに生きる力が備わっているはずだと思うのです。
We have Responslbility and Power to get our Freedom
大人の4つの側面
category : enhanced life
今考えているのは「市民」ということです。
僕は大人には4つの側面があると考えるようになりました。個人、家庭人、職業人、市民の4つです。
今は、個人と市民がないがしろにされている。そんな感じがしています。
「個人」が大切にされないことは、これはこれで大事な問題で、よく考えて行動していきたいのですが、今回は市民ということについてフォーカスしたいと思います。
今、時間の使い方として月-金は職業人、土日は家庭人という大人が多いのではないでしょうか。職業人が圧倒的に割合が高く、そして多くの場合、職業人の目的変数は「自社利益の最大化」であり、ルールは弱肉強食、もう少しマイルドに言うなら適者生存です。
競争、切磋琢磨、成長という側面はあってよいと思います。というか、大事な側面の一つだと思うのですが、問題は偏りです。
切磋琢磨、成長ということ以外に、共通善、全体最適の探求などが大人の時間割に必要と思うのです。
例えば、適者生存社会では、先天的な障害を持って生まれた人は「役立たず」になってしまう。自分たちが選んだわけではない親の虐待によって心を閉ざした人は「社会不適合者」となってしまう。身体能力が減退してきた老人も「社会的コスト」などとみなされてしまう。
自分の子供がたまたま献上であったことで、健常者中心の世界を創ってしまう。例えば、自分の兄弟の子供に、そういう子がいたら、同じ行動は取らないだろうに・・・と思います。
雑なまとめ方になってしまいますが、私たちは「自分さえよければいい」という価値観にどっぷり浸ってしまっていると思うのです。(それが、結局、自分たちの首を絞めているとも思います)
福島に原発がある(東京にはない)
レイオフをして雇用を失う人がいて、その企業の株価が上がる、
沖縄に他国軍の基地がある(基地を持ち回りにしましょう、などという話にはなってない)、
財政赤字がずっと続いてる(いつの世代が、そのツケ(まさにツケですね)を払うことになるのか)。
こういうことは、僕は「自分さえよければいい」に根差している気がするのです。
うちの会社さえよければいい、
東京さえよければいい、
日本さえよければいい、
自分さえよければいい・・・。
故・河合隼雄先生が、こんなようなことをどこかに書いていました。
「自立という言葉が人気になって久しい。昔は”大人になる”とか、”一人前になる”という言葉が使われていた。自立が孤立にならないといいですね。一人前になるっていうのは、家族とか、地域とか、そういうのを背負って立つようなそんなニュアンスもあったかもしれない」
マイケル・サンデルが、あれほど着目されているのも、
私たちはどこかで「どこかがおかしい」「このままではいけないんじゃないか」
って感じてるからだろうとも思うのです。
私たちは、自分と直接かかわりのない、多くの支えや貢献によって生きています。極論すれば、日本語は私たちが作ったものではないし(それを使って私たちは生きていますね)、今の豊かな日本も、平和な日本も、自分たち(だけ)で作ったわけではない。否応なしに私たちは社会の文脈の中に生きているはずです。
その社会の文脈には負債もあるかもしれない。
でも、多くの資産をいただいて、私たちは生きているはずです。
そこに目を向ける。
それが市民としての自覚を持った生き方なんじゃないかな、
そんなことを最近考えているのです。
日本という国は考えるのには大きすぎとしても、
例えば、東京という街を、私たちはどんな街にしたいのか?
どんな東京を、子供や孫に渡していきたいのか。
どんな価値観が大切にされ、
老人や、障害者や、健常者や、うつ病の人や、能力の高い人たちが、
どんな生活を織りなす社会にしたいのか。
そういうことを考えて、実現に向けて行動していく、
その時間を取る、ということが必要なんじゃないかと思うのです。
「それは、政治家や行政、NPOやボランティアの人たちがやってくれればいい」というようなものではないと思うのです。
むしろ、私たちは、自分たちの住みやすい社会、誇らしい社会、次の世代に渡していきたい社会を創る、その権力を取り戻さないといけない。他人任せにするようなことではないと思うのです。
「投票」という、民主主義のほんの一側面の行為によっては、市民として十全に生きているとは言えないのではないか、
自分たちの街のこと、社会のことについて、
考え、調べ、話し合い、行動していく。その時間を私たちは持った方がいいんじゃないか、そんなことを思います。
今私が描いているビジョンは、
月火水木金土日が、職業人と家庭人だけの時間割ではなく、
例えば、月・火・木・金は職業人としての日
水曜は市民としての日
土曜は家族との日、
日曜は自分のための日、
そんな時間割になること。それが大きな意味を持つのじゃないか、そんなことを考えています。
正しいのか、効果的なのかは分かりません。
やってみて、ダメなところもたくさん出てくるでしょう。
でも私は、試行錯誤しながらも、やっていこうと思います。
最近考えていること
category : 未分類
とても久しぶりにblogを更新します。
たぶん、今日以降、結構blogの更新頻度が上がる気がしています。
随時、twitterやfacebookとかでもお知らせしたいと思います。
ざっと書いて、ざっと読み返しましたが、
まったく文章としてはまとまっていません。
でも、そのままアップさせてください。
最近ずっと、日本とか世界とか、いろいろ考えています。
本も時間を見つけて読むようにしています。
「ストロング・デモクラシー」「エコロジカル・ダイエット」
「ウエティコ神の目を見よ」「持続可能な未来へ」
「21世紀の歴史」「ほんものという倫理」など、読み散らかしている感じです。
3.11に大地震と津波があって、原発のことがあって、
その後も、リビアの紛争や、タイの洪水や、ギリシャの財政問題や、
TPPのことなど、世界はどんどん動いてます。
ずっといろいろ考えていて、正直なところ、考えはまとまっていないですし、
勉強が足りないのは、相変わらず足りなくて、
勉強すればするほど、自分が何も知らないということが分かる、
というのはまぁいいことかもしれませんが・・・
なんとなくぼんやりと感じているのは、
今ある問題というのは、能力の不足が原因ではなくて、
愛の不足が原因じゃないか、みたいに感じています。
また、もう一つ問題というのは、自分がまさにそうなんですけど、
何も知らない、ちゃんとした情報を持っていない、
自分(の価値観)と結びついた情報となるとほとんどないということです。
TVでニュースを見ていると嫌になるのですが、
増税の話があると、すぐに「一家庭当たりの負担増の金額」とかって
算出して、それを放映します。
どうしてそこだけ放映するのだろう。
東北の方たちが、今どういう暮らしをしていて、
復興増税を財源としてどんな未来を創れるのか
そんなことはほとんど、そのニュースの中では語られないのです。
私たちは、ものすごく偏った情報しか手にしていない。
そしてもう一つ、私たちには「自分一人ではどうにもならない」
という虚無感、無力感が強くあるのではないかということです。
こういったところを、ちゃんと打破していきたい、
そんなことを考えています。
私は、明るい動きもたくさんあると思っていて、
若い人と接していても、明らかに数年前よりも社会性は高まっているし、
(僕が学生の頃は、周囲で選挙に行く人は少なかったように感じてますが、
今は、投票に行かないのはカッコ悪い、という感じらしいです)
グラミン銀行とか、パタゴニアとかが一生懸命やっているフェアトレードとか、
Table For Twoとか、色んな動きがあります。
節電が必要になり「エネルギー」「ライフスタイル」ということについて、
考え始めた人も、絶対に多いと思います。
私は、ついつい固く考えて、固い言葉を使ってしまいますが、
友人が、シェアについてのワールドカフェを開催して、
とてもポジティブな表現のblogなどを見ると、明るい気持ちになりますし、
知人の大学院生が「おもしろおかしく、楽しく、社会活動したいですよね」
というようなことを言っていて、ああ確かにそうだなぁ、
なんてことを思ったりしています。
私たちは、どんな社会を実現したいでしょうか?
私たちは、自分たちの子供や孫、ひ孫たちにどんな社会を贈りたいでしょうか?
私たちは、「私たち」という言葉を使う時に、
どんな広さで「私たち」と言う私たちでありたいでしょうか?
「ストロング・デモクラシー」という本の中で以下のようなことが書いてありました。
”政治とは、何か決断をしなければならない状況であるにもかかわらず、全員が納得する合理的な決定方法を持たないときに、それを決断することが、政治である”
私たちは、これまでに経験したことのない状況を生きていて、私たちも、国会議員も、誰もかれも「政治的判断」をしなければならない状況にあるように思います。
少子高齢化、人口減少、環境問題、コントロール不能(ないし非常に難しい)科学技術の超進化、正解は分からない中で、みんなで手さぐりで、社会を創っていくしかない状況なのだと思います。
私たちは、経済発展こそが、人々に幸福をもたらすと信じて、経済と言うものを価値の最上位において生活をしてきたのだと思います。しかし、今、それが崩れ去ろうとしている。経済は大事だとしても、果たして無条件に最上位においてしまっていいものなのか?
オバマ大統領が窮地に立たされていることも、よく考える必要があると思います。リーマンショックで明るみになった、知的能力が非常に高い人たちの、異常なまでの収入の高さ、それに対する補償的動きとして、お金持ち優遇ではないオバマさんが大統領になり、そして今窮地に立たされている。
このこと一つとっても、事態はそんなにシンプルなものではないはずです。そもそもアメリカ経済が苦しいのは、中国、インドといった新興国の発展により、経済的地位が相対的に低下していることも影響しているはずで、単純に国内だけの問題ではないはずです。金融と経済は、世界で非常に密接に結びついてしまっている。
日本の財政赤字は何を意味するのでしょうか?それをそのままにしている私たちは、自分の子供や孫に、どんな未来を渡そうとしているのでしょうか?
東北のがれきの処理も問題となっているようです。東北の人はかわいそうだと思うが、がれきは欲しくない。その気持ちは分からないわけでもありませんし、小さなお子さんがいるかいないかなど、状況の違いもあると思います。でも、福島にあった原発は、東京に電力を送っていた。それで、電力は欲しいけど、がれきは欲しくない、それは、私たちを、どういう人間であると規定するのでしょうか?
そういう姿を見て育った子供たちは、何を価値観として育まれるのでしょうか?
戦後の日本が、奇跡と言われるほどの経済成長を遂げたこと、輸出大国となったこと、工業大国となったこと、それを安易に非難したくはありません。想像もできない焼野原から、日本人としての誇りを取り戻すために、必死になって日本を創ってきてくれた、祖父や祖母、父や母、感謝の気持ちが起こる方が自然だろうと思います。
充分に物質的に豊かな社会を創ってもらってきた。
バトンは渡された。
今度は、私たちは、どんな未来を創造していきたいか、いくのか、
そういう仕事が、私たちの世代の仕事なように思うのです。
Think Global、Act Local。
広い視野を持ち、今自分に出来ることをする。
私たちには、未来を創造する力があるはずです。
チュニジアや、エジプトでFacebook革命とも呼ばれる、市民一人一人の動き、その繋がりによる「未来創造」がありました。
幕末の日本では、郷士という下層の立場から、志を持って、歴史に影響を与えるほどの人生を送った、坂本竜馬という日本人の先輩もいます。(彼は決して、エリートでも王族でもなかった)
私は今、誤解を恐れずに言えば、
一度も会ったことのない、津波や原発で亡くなられた方の犠牲に報いるために、
何ができるのか、それをずっと考えています。
9.11で亡くなった方もそうかもしれません。
阪神大震災もそうかもしれません。
私たちは、歴史から学ぶ責任があるように思います。
こんな問題意識を共有し、語り合える仲間がいることに感謝します。
背中を押してくださる先輩方がいることに感謝します。
考え続け、行動し続けたいと思っています。
そして、対話し続けたいと思っています。
「ストロング・デモクラシー」の著者、B.R.バーバーは、
政治とは、生成的なものであると言っています。
僭越ながら、とても共感します。
私たちは、市民として、未来を生成していきます。
好むと好まざるにかかわらず、私たちの一挙手一投足によって、
未来は生成されていく。
であるならば、創造したい未来をこそ、
対話しながら、みんなで創造していきたい。
アルバイト情報の紹介
category : 未分類
知人の企業アルバイトの募集です。
だぶん、かなり面白い内容かと。少なくとも、素晴らしい人たちと仕事できます。
(このチームの人たちはみんな知っていますが)
———–
はじめまして、株式会社チェンジの小山田と申します。私は海外関連のコンサルティングをしているのですが、
海外の調査関連業務拡大に伴い、皆様のお力をお借りできないかと考えています。
アルバイトとしてお願いしたいことは、ネット・文献を使った調査と、調査結果のまとめです。
様々なテーマがありますが、その1つには、世界における交通機関×人×社会の関わりを考えるための基礎調査があります。
作業の中で、ネットでの調査をしたり、PPT・Wordを使ったりすることがありますが、
基本的なことはこちらでお教えますので、必須のスキルではないです。
それよりも、英語での調査になるため、
英語が読める人(聞く・話す・書くことはありません)で、
粘り強く頑張って頂ける方を募集しています。
条件としては時給1,000円なのですが、企業のオフィスで働く、
企業からお金をもらった調査をしてみる、成果物を作成してみる
という経験もできるので、社会人体験に興味のある方にも
ちょうど良いかと思います。
作業のピークは9月5日~16日になる想定ですが、
可能であれば、すぐにでも入って頂けると嬉しく思います。
ここまでお読み頂き、もしご興味があるようでしたら、
一度詳しいお話をさせて頂ければと思いますので、
小山田までご連絡頂けないでしょうか?
連絡先は、oyamada@change-jp.comです。
ご連絡をお待ちしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
小山田
3.11
category : enhanced life
地震から2週間が経ちました。
3.11から経験したこと、考えたことを一旦整理したいと思います。
まず3.11の当日、私は研修の仕事で保土ヶ谷におり、
電車が動かなくなり、横浜近辺を歩きまくって、
右往左往していました。
研修会社の若手社員の人といたのですが、
まずそれで強く感じたのは「自分がしっかりしなきゃ」
と思うことは、とてもエネルギーをもらえるということです。
あの時、もし自分が一人であったら心細いのもそうだったでしょうが、
あれほど精神的にしっかりしていられなかったと思います。
彼女にはとても感謝しています。
携帯電話が電話とメールができなくなり、
twitterで「今横浜にいますが、どこか泊まれるところとかないでしょうか」
と書き込んだところ、大勢の方から、開放されている場所の情報を
いただくことができました。
ソーシャルメディアの強力さと、
他人の優しさの有難さを、強烈に感じた瞬間でした。
その後二日間は、睡眠とtwitter、それとTVを見るというだけの過ごし方
だったように思います。
twitter上で、大切な情報が共有されていたり、
心温まる言葉を見たりして、ソーシャルメディアについてあらためて
その力強さを感じました。
デマの問題などもあるかもしれませんが、有効性の方がはるかに上回っている、
というのが今のところの私の認識です。
そして多くの人が3.11をきっかけとして、
よりよい未来を創造しよう、そう思っているのが、
コンテクストから個人的には強く感じられました。
そのあと、私自身の意識が向いたのは
原発のことと、”批判”のことです。
まず先に批判について考えたいと思います。
東電が悪いとか、首相が悪いとか、
買占めをする人が悪いとか、色んな批判が出てきました。
私は、批判というか、分析や反省は必要なものだと思います。
だから、例えば政府のエネルギー政策や対応に問題があったのだとすれば、
それを指摘し、修正する方向にもっていくということは
重要なことだと思います。
それと、現在福島で命がけで作業をしてくれている人を応援し、
感謝するというのは別のことです。
(同じ一人の人間が、批判もし、感謝もする、
というのは私は、まったくもってあり得ると思います)
そして、これは今までの自分の思考パタンとしても
強くそうだったかもしれませんが、「人の批判をするなら、まず先に
自分自身を分析するなり、反省するなりしよう」ということです。
その思いが改めて強くなったように思います。
そして、ここから先は原発のこととも絡んできますが、
自分自身を反省した時に、如何に自分が市民として、
無責任というか、無自覚というか、そういう状態であったかということを
痛烈に感じないわけにはいきませんでした。
私は日本に原発があるということは聞いたことがありました。
きっと勉強もしたはずでしょう。
しかし、都民である私が日常利用している電力が、
危険性もある原発という装置を福島に設置して生産されていた、
そのことを私は自覚せずに暮らしていたわけです。
もし「東京で使う電気は、東京で作ろう」として、
それで都内に原発を建てる。
私の家の隣に、原発がある。
それは、ある意味当たり前のことのようにも思えますが、
実態はそうではなかった。
200kmも離れた福島に(そしてそのほかの場所にも)
”怖い”原発があったわけです。
自分が豊かな生活をするために、
別の地域の、他人に負荷や恐怖を押し付けて生きていた。
それに対して無自覚であった、
この想いは、強烈です。
他にもそういう構造の問題はたくさんあるでしょうが、
私は沖縄の米軍キャンプのことを思いました。
これも構造は全く同じです。
日本の防衛という観点から、
米軍基地が日本にあることが必要であるとしても、
それを長年にわたり沖縄の人々に不安や恐怖を押し付けていた、
少なくともそういう面がないとは言えない。
私はそれについて真剣に考えたことも、
行動したこともなかった。
この二つのことは「地域」という水平的問題というか、
距離的問題です。これはとても重要なことで、
私は、自分の考え方、生活の在り方を、全てもう一度
見直す必要性を感じています。
もう一つ重要なこととして、垂直的問題というか、
時間的問題があります。
これは地震を契機として「持続可能な未来へ(P.センゲ)」
をあらためて読んでいて、考えさせられていることです。
私たちの現在の生活の在り方は
地球が何億年もかけて生成した化石燃料(石油や石炭など)という
再生不可能な資源を使い放題使うことが前提で成り立っています。
そして地球という生命体を傷つける生活の在り方でもあるようです。
自分たちの子供や、孫、ひ孫、そのまた子供にまで
”美しい地球”を遺していく、そういうタイムスパンでの
思考はしていないし、生活をしていないのです。
これもまた、私自身、もっと勉強し、考えなければなりません。
勉強し、考え、行動したい、と強く思います。
———
人は、自責の念から動いたり、
問題をなくそうとするよりも、
よりよい未来を本気で望んで、それを実現しようとしたときに
持続的な内発的エネルギーを得られると私は思っています。
ですから私は、
「とにかく反省している。自分を変えなければならない」
というコンテクストよりは、
「この経験を糧に、素晴らしい未来を実現したい」
というコンテクストを大事にして生きていきたいと思っています。
私は2009年にこのblogでビジョンを描きましたが、
こんど、改めてこれを更新したいと思っています。
http://www.enhanced-life.net/essay/119
ビジョンの実現に自分自身が果たす役割。
ここが重要なわけですが、まず前提として私は一人の人間です。
酒も飲むし、寝るし、旅行だってしたいし、
自分の仕事の興味関心、情熱の領域も偏りというか限定があります。
いきなり環境問題の専門家に自分がなりたいわけでもないですし、
なる必要もないと思います。
ただ、以前よりも一市民として、もう一歩、様々な問題に対して
真剣に考え、行動したい。少なくとも自分の生活の在り方が、
ビジョンの実現に対してマイナスになるような生き方をしたくない、
そう思っています。
無理をしても続かないですからね。
自分のことを大切にすることは、とても大切なことだと思っています。
その上で、やはり、3.11で痛烈に感じたこの無責任さ、
それを今後にしっかりと活かしていきたいと思います。
私個人としては「市民勉強会(仮称)」をスタートすることにしました。
これは必ずやります。
テーマとしては、環境、エネルギー、防衛、国の財政、福祉、教育、
そういったものを調査し、勉強し、実践していきます。
・自分の生活の在り方に反映する
・投票という行為に反映する
一旦、この二つをアウトプットとしてやっていきたいと思っています。
ご興味のある方は、ぜひ一緒にやっていきたいと思いますので、
お気軽にご連絡ください。
【キャリアの極意】エースの極意5
category : キャリア・就職・転職
Co-ducation石川です。
いろいろと次に書くことを悩んでいたら、
あっというまに1ヶ月近く経ってしまいました・・・。
「エースの極意」というテーマで、
これまで
1.エースになる意味
2.目の前のことに没頭する
3.失敗する
4.評価は他人がする
と書かせていただいてきました。
次は「強みの確立」ということを書こうかと思いつつ、
しかし、強みの確立と書くと「目の前のことに没頭する」
で書いたような没頭力を軽視してしまうことになるんじゃないか、
若手のうちは無個性でいいんでないか、
そんなことも頭をよぎります。
「悩む力」ということで書こうかなとも思いましたが、
その前に強みの確立というのはやはり必要なんじゃないか、
そんな気もしてきてしまって・・・なかなか筆が進まずにいました。
しかしやはり、目の前のことに没頭し、チャレンジし、
失敗し、それを糧にして、周囲からの信頼も期待も高まる、
そういうサイクルを作ってきたら、次は「強みの確立」だろう、
と思い、今日はそれについて書こうと思います。
——–
食わず嫌いもせずに仕事を一通りやってくると、
やはり自分に”向いている”仕事というのがある程度見えてくると思います。
最初は絶対嫌だ!と思っていた仕事が、自分に向いていると感じることもあります。
最初から思っていた通り、やっぱりこれが向いているという場合もあります。
だんだんと自分の志向や適性が変化していくということもあります。
“向いている仕事”というのは、どんな仕事か。
一言で言うのが難しいので、色々と並べてみたいと思います。
それは、充電を必要としない仕事。
それをやること自体が喜びである仕事。
時間を忘れて没頭してしまう仕事。
もっとその仕事をやらせて欲しいと思う仕事。
こういった仕事を自分のキャリアの「中軸」に据えて、
その領域を徐々に拡大していくという努力は必要だろうと思います。
仕事そのものが楽しく、仕事によって自分が充電されるのであれば、
仕事の好循環を生み出すことは、とてもたやすくなります。
仕事のストレス、なんていうものに振り回されて、
散財したりしなくてすむわけです。
この領域について最も詳細に検討して書かれているのは
以下の本だと思います。まだ読んだことない方はぜひ一度読んでみてください。
既に読まれた方も「本気で実践する」というつもりで
再度読んでみるといいかもしれません。
「最高の成果を生み出す6つのステップ」
マーカス・バッキンガム(日本経済新聞出版社)
私は現在、基本的に好きな仕事しかしていません。
もちろんそうとも言い切れない仕事に携わることもありますが、
9割以上が「充電を必要としない」仕事だと言えそうです。
それは一朝一夕にそうなったのではなく、
そうなるように、徐々に徐々にシフトを重ねてきたのです。
まず、仕事をしながら「何をすることが自分は好きなのか」ということは
ずっと考えてきました。今でも考えています。
例えば私にとっては以下のような不等号があります。。
直接顧客の顔が見れる > 大規模な仕事
変化を共にできる > 効率よく稼ぐ
人生の意味を探究する > 刹那的な快楽
私にとっては新聞に載るような大プロジェクトに携わって、
お客さんの顔はほとんど見られない、みたいな仕事は魅力がありません。
一定期間以上、時間を共にし、変化を共にできるような仕事であれば、
やればやるほど満たされていきます。
こういった自分の嗜好性を把握し、
そういった仕事の領域を徐々に拡大していくことが大切だと思います。
もちろん、やりたいからと言ってすぐにできるわけではありません。
その仕事が「稼げる」仕事でなければ、会社も自分も困りますし、
稼げる仕事だとしても、状況的にすぐにできるとは限らないかもしれません。
私自身は、1.2倍の仕事をする、はみ出した0.2の分は自分のやりたい仕事、
それが上手くいけばやりたくない0.2を削って1に戻す。
そしてまた1.2倍仕事する、そういうのを繰り返してきたように思います。
やればやるほど元気になる。
「こんな好きなことばかりやってて、お金までもらっていいの?」
と思えるような強みを活かした仕事をする割合が5割を超えてくると、
人生は相当楽しくなると思います。
そしてそれは、数年のスパンをかければ、
必ず誰にでもできる、開かれている未来だと思います。
引き続きキャリアのご相談のメールもお待ちしています!
どんなことでもご遠慮なく!
hideaki.ishikawa@co-ducation.com
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
【キャリアの極意】エースの極意4
category : キャリア・就職・転職
Co-ducation石川です。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
引き続き今回も「エースの極意」というテーマで考えていきたいと思います。
今日は「評価」について考えてみたいと思います。
私は仕事の評価について一つ、原則があると思っています。
【評価は人がするものである】
仕事の評価というものは人がするものです。
これは大前提だと思います。
自分がどれほど頑張ったかの自己評価ではなく、
他者からのフィードバックとして、評価は存在します。
もし自己評価よりも低い評価をされたとしたら、
何かが、評価されるのに足りなかったのです。
評価の低さを嘆くよりも、どこが足りなかったのか
冷静に分析するのです。
私は入社して最初の評価がS,A,B,C,DでB評価でした。
自分としては不満でした。自分はもっと優秀な
能力の高い人間だ、と思いましたね、正直。
絶対に次は高い評価を取ってやる!
そのモチベーションは結構高いものがありました。
それで私は「ただ頑張る」だけでなく、
「物凄く頑張る」ことにしました。
加えて「成果を評価者が認識できる」ようにすることを
強く意識しました。
2年目の当時、私は大規模プロジェクトにいました。
チームの中でどれだけ真摯に仕事をしていても、
評価はプロジェクトの中の同期10名ほどの中での
相対評価になります。
ですから、私はチーム間の面倒な仕事や、
プロジェクト全体に関わる複雑な仕事に、
自分からどんどんクビを突っ込んでいきました。
当然、仕事量は増えます。しかし、それを手を抜かずに
やりきることを大切にして1年間過ごしました。
結果、2年目の評価はAを通り越してS評価、
同期が300人くらいいるなかで、該当者なしの場合もある
S評価だったわけです。
それは、プロジェクトの評価者(マネジャー以上)が、
自チームのマネジャーだけでなく、誰しもが石川を知っており、
(100人近いプロジェクトだったので知られない、可能性すら
あるプロジェクトでした)
その誰しもが「石川は確かに頑張ってるし、結果も出してる」
と認識してくれたからです。
評価というのは、3つのステップに分解されます。
「頑張る」→「結果を出す」→「結果が評価者に認知される」
この3つのステップを全て成功させて、
初めて高い評価が得られるのです。
さらに細かいことを言うと、私の最初にいたコンサルティング会社は、
チームのマネジャーが評価を提出し、
プロジェクト全体で、相対評価の割合の中で調整する仕組みになっていました。
ですから、自分のチームのマネージャーがA評価を出しても、
調整によってBになってしまうということはあったわけです。
ですから、私にとっては自チームのマネジャー以外にも
「まぁ石川はAだな。」と思ってもらう必要があったのです。
私はそれも意識して、全マネジャー以上に自分の仕事の成果を
認知できるように動いていました。
最後の「結果が評価者に認知される」というところを手を抜く人がいます。
もっと言えば「そんな政治的なことはしたくない」という人もいます。
しかし、それは私は言い訳だと思います。
自分のパフォーマンスを、人に正しく認識してもらうのは
仕事の一つです。自分をプレゼンしなければなりません。
どんな仕事をしていてもそれは付きまといます。
「営業は数字で分かりやすくて公平でいいなぁ」と言う人がいますが、
営業の人は、お客さんに自分のパフォーマンスをしっかりと
プレゼンしているのです。
また「人が評価する」ということは、自分の物差しで
頑張ったり成果を出したりしてもダメだということです。
評価者の物差しで測られるわけですから、
評価者の物差しにおいてもしっかりと成果を出さなければなりません。
「物差し自体がおかしい」という人がいます。
それは、そういう時もあるかもしれません。
でも、高い評価を得るにはその物差しで測られるしかないのです。
物差し自体が不満であれば、早く自分が出世して、
評価する側に回ることです。
評価基準がおかしい!と言って、自分は旧評価基準においても
成果を出し、会社を改革していった人もいます。
評価基準がおかしい!と会社を飛び出し、
自分が社長になり、自分の価値観と経営を融合させた人もいます。
あくまで評価は人がするものです。
それを大前提として肝に銘じておくのも、
エースの条件の一つだと私は思っています。
エースの極意3 失敗する力
category : キャリア・就職・転職
今日は、私自身の昔話からお付き合い頂きたいと思います。
私は、入社1年目のいちばん最初のプロジェクトは
通販企業の基幹業務を構築するというものでした。
私がいた会社は新人に対してはスーパーバイザー(SV)がついて、
その人が指導をしてくれるという体制になっていました。
数カ月の配属でしたが、自分なりに最大限努力していました。
プロジェクトを出ることになって、SVから
フィードバックをもらうということで二人で面談をすることになりました。
私なりに努力した自信もあったし、ミスもなく、
それなりの成果を残しただろうと思っていたので、高い評価を
期待して会議室に入りました。
S評価まではいかなくても、A評価くらいはあるだろうと。
SVは部屋に入って座るなりこう言いました。
「そうだなー、石川の評価は、んー、まぁBマイナス、ってところだな」
「??」
私はキョトンとしてしまいました。
SでもなくAでもなく、B。しかもBマイナス??
事態が飲み込めません。
すると続けてSVが
「石川さー、お前このプロジェクト入って何か失敗した?」
と聞いてきました。
私はプロジェクト中に何か失敗をした記憶がありません。
そうか、先輩は何か失敗したと勘違いしてるんだな、
ちゃんと釈明しなければ。そう思って
「いや、失敗はしていません!」とハッキリと告げました。
「だから。だからBなんだよ」
SVは即答しました。
益々「???」となっている私に向かってSVが続けた言葉は
次のようなことでした。
「いいか。失敗してないってことはさ、お前、自分の能力以上の
チャレンジをしてないって証拠だよ。
チャレンジしない奴がどうやって成長するんだよ。
新人のお前に求められてることは、小さくまとまって仕事することじゃない。
どんどんチャレンジして、失敗して、そこから学んで
どんどん成長していくことだろう。」
「俺たちは年次が上がって、責任が重くなったら、
どんどん失敗できなくなっていく。その時に、ちゃんと仕事できる人は
どういう人か。それは、そういうポジションにいくまでに、
チャレンジして、必要な失敗をちゃんと経験してきてる人だよ。」
「失敗したっていいんだ。同じ失敗は2度しない。
チャレンジして、失敗して、同じ失敗は2度しない。
そうやって成長していくことが大事なんだよ」
失敗しなかったことで叱られたことは生まれて初めての経験でした。
すごい衝撃でしたね。今でも鮮明にこの光景を覚えています。
私自身は、この言葉を胸に頑張ったことで、翌年には同期300人の中で、
一番の評価を得ることができました。
これは本当にこの先輩のおかげなのです。
今もこの言葉は私にとってとても大切なものです。
以前よりも、無謀なチャレンジをして周囲に迷惑をかけるわけには
いかない部分が増えてきましたが、それでも、
「今の自分のままでは上手くいかないかもしれないこと」に、
毎年一つ以上はトライするようにしています。
自分の能力以上のものにチャレンジしていくこと。
これは本当に大切なことだと思います。
そのリスクや不安も背負って、チャレンジする。
そのことによって人は素晴らしい成長を遂げることができます。
色んな会社でエース級の活躍をしている人にインタビューをさせて頂くと、
その歴史は失敗の連続のことが本当に多いですね。
そして一つ一つをしっかり糧にして今の自分に活かしている。
失敗しましょう。
どんどんチャレンジして。
失敗しない人はエースになれないのです。
【キャリアの極意】エースの極意1
category : キャリア・就職・転職
仕事を入れ過ぎて、怒涛の2ヶ月だったのですが、
それだけでなく、ちゃんとした文章を書こう!
と思ったらなんだか腰が重くなってしまい・・・。
また週1くらいではお届けしたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
今回からしばらく「エースの極意」というテーマで
考えていきたいと思います。
そう思って、エースになるための条件やポイントを
色々と考えて、書いて、ってしていたのですが、
その前に「そもそもなんでエースになる必要があるの?」
っていうところに、疑問もあるんじゃないか、
そう思ったので、まずそこから考えてみたいと思います。
結論から言うと、やはり僕自身は、
20代のうちは誰しもエースになるのが幸せだ、と思っています。
「そんな仕事一辺倒じゃなくてもいいじゃないか」
そう思われる人もいるかもしれません。
確かに、人生は仕事だけじゃない。
でも、素敵なパートナーを見つけ、家庭を築き、
父となり、母となり、そうなる前には、
僕は仕事に没頭するのが一番楽しいだろう、そう思うのです。
1週間は168時間あります。
普通に社会人をしていたら、
睡眠が1日7時間として49時間、
3食とお風呂などで21時間くらい、
だいたい残りは100時間ほどということになります。
平日1日10時間働くとして、50時間。
少なくとも、人生の半分は仕事をしているわけです。
僕は、人生の半分がつまらない生活なんて、
そんな人生を過ごすなんて絶対に嫌だ、と
学生の頃からなぜか強く思っていました。
少し長めに働いて、通勤時間も入れれば、
寝る食べる以外の時間の7~8割は仕事をしていることになります。
7割が「稼ぐためだけの時間」であり、
残り3割の時間のための手段に過ぎないなんて、
そんな寂しい過ごし方ないじゃないですか。
もし「仕事が楽しくて仕方ない」っていう状態になれば
“お金の苦労”からも解放されます。
だって一番楽しい仕事をしていれば、お金は入ってくるわけですから。
そして「あーあ、仕事でストレス溜まっちゃったから散財しよう!」
なんて思わなくてすむんです。
確かに人生は仕事だけではないですし、
夫婦の会話や、子育てや、旅行や、買い物や、親孝行や、
他にも素晴らしい時間がたくさんあります。
別にそれを全く捨てるべきとは思いません。
でもやっぱり生活の大半を占める仕事を、
仕事そのものを楽しむことができた方が、
絶対幸せじゃないですか。
僕はいまだにそう思ってるんです。
そして、仕事を楽しむにはエースになった方が絶対楽しい。
周囲から認められ、必要とされ、期待され、チャンスを与えられ、
より実力を磨くことができ、自信を持てて、
収入も高まっていく。
そんなにいいことないじゃないですか。
だから僕は、みなさんにも
「ぜひエースを目指してみたらいかがですか?」
とおせっかいにも推奨してしまいます。
次からは、ではエースになるためには
何が大切か、また考えていきたいと思います。