Enhanced Life based on Passion and Chance

パーソナルキャリアコーチ石川英明のブログ

パーソナルキャリアコーチ石川英明が、
キャリアの考察を軸に、気の向くままにテーマを選んで思考を深めていくブログです。

ビジョン

category : enhanced life

世界が少し変わった。オバマの真剣な努力は一人ひとりの
心に地球人としての誇りと責任感をもたらした。

日本の政治は相変わらず遅々として進まなかったが、
NPOやソーシャルベンチャーの元気な経営者がたくさん生まれるようになってきた。
確実にこの国も変わりつつある。

エコロジー、サステナビリティというコンセプトは、
民主主義と同じくらい地球の人々にとって大切なコンセプトになってきた。
多くの国や企業が、循環系のサイクルを生み出すべく、
環境技術を発達させていっている。

人々は、物質的な贅沢をしなくなってきた。
物質的な贅沢をする人が、嘲笑されるような風潮すら出てきた。

新しい時代のリーダーたちは、
NPOやソーシャルベンチャーのリーダーとして活躍しながら、
彼らの思想的な影響は、二宮尊徳や上杉鷹山、アーヴィン・ラズロ
から多くを受けていた。

質素な生活を好み、何よりもその人間性によって周囲の人々を魅了し、
活気づけていた。

mixiなどのSNSなどは、更に進化を遂げた。
様々な活動がボランティアとして活発に行なわれている。
ゴミ清掃、電気を消す夜、ゴミ削減運動、
市区町村レベルでの電気使用料削減運動、
家庭ごとの環境バランスシート。

インターネットは遍く世界にいきわたり、
アメリカ最高の教育を、アフリカの子どもが受けている。

「どれほど多くを持っているか」は問われなくなった。
「どれほど社会に奉仕したか」そのことによって評価される時代になった。
人々はよりよい世界を生み出すために、
率先して、自発的に、能動的に貢献していく。

彼らは報酬を求めなかった。
雨や寒さをしのぐ家と、日々を過ごす最低限の食料は手元にあった。

人によっては環境技術の開発に精根を尽くし、
人によっては宗教の相互理解に尽力し、
人によっては子どもへの教育の機会や質の向上に命をかけた。

世界は劇的に変化してきた。
街をゆく人の顔に精気がみなぎっていた。
「自分は、社会にとって価値あることを為している」
その誇りが、みんなの顔に浮かんでいた。

「昨日もらったあの人からのありがとうを、
 今日この人に送ろう」

喜びと感謝に満ちた顔をしていた。

農業や漁業に従事し、人類の胃袋のために尽力する人たち、
技術開発に従事し、食料や環境負荷の制約条件をブレイクスルーさせることに尽力す
る人たち、
人々につながりをもたらし、誇り、安心、勇気、優しさを掘り起こすことに尽力する
人たち、
彼らの真剣な営みが、世界中の人々から必要とされた。

世界中から武器が放棄され、
「対話」という最高の手段が、武器の代わりにいつも用いられるようになった。
何千年という歴史の呪縛が、勇気ある人々によって解放されつつあった。

人々は以前よりもずっと、幸福の中にあった。
必要なものに必要な資源が投入されていた。
資産家の邸宅のために資源が投入されるのではなく、
世界中の子どもに必要な医療が届くように惜しみなく資源が投入された。

自分たちが善いことをなしている確信が、
一人ひとりの心の中にあった。
自分の息子のように、地球の裏側の赤ちゃんのことも愛せる自分が誇りに思えた。

人々は以前よりずっと幸福の中にあった。
水は澄み、森は繁り、動物たちは歌っていた。

——-

そんな未来を僕らは創ったんだ。

Comment now » | 2009/1/29(木) 21:27

新しい責任の時代

category : enhanced life

オバマさんの就任演説をニュースでちょっとだけ見たけど、
ちょっと感動した。
TV越しでこれだけの力が伝わってくるってことは相当なものだなと思う。

アメリカ国民だけのことでなく、
僕も、僕自身と、日本と、世界に対する責任を自分が負っているということを自覚して暮らしていこうと思った。

とりあえず、キッチンを片付けて、トイレ掃除して、風呂掃除して、仕事しよう。
頑張ろう。

Comment now » | 2009/1/24(土) 12:28

組織って幻想だな

category : enhanced life

前々から思ってたんですけどね、組織って幻想だなって。

本当は、自己責任、自立したプロフェッショナルの個人と、
流動性、柔軟性をもったネットワークしか存在しない。

組織、として硬直性を持たせるのは、
ある集団における共通認知がそうさせるんだけど、
それは、コンセプトであって、現実ではないのだと思います。

“組織のせいだ”というのは、
僕は認めたくないですね。
言いたくなることはしょっちゅうあるのも事実だけど。

Comment now » | 2009/1/24(土) 12:28

「人間の成長」仮説メモ

category : enhanced life

■人間の成長の段階

純質 自己実現欲求

激質 自我欲求
   所属欲求
   安全欲求

暗質 生理的欲求

■21世紀の人間の成長の段階

1.甘えの経験
2.自我の芽生え
3.限界の認識
4.社会的適応
5.消費の飽き
6.自己の確立
7.利他の芽生え
8.自己放擲
9.解脱

1.甘えの経験
まず存分に甘える経験が必要。
世界をどう見るかの根源。
幸福な人はこれを赤ん坊時代に経験する。
“泣く”という”努力”が全て報われる経験をする。
この世は自分の努力が報われる世界と思う。
そして”常に包まれている”安心感を持てるようになる。

この経験をしないまま成人すると、
どれほど優秀であっても孤独な内面を持つことになる。
この経験は、ほとんどの人は人に甘える経験によってしか卒業できない。
親に甘える経験が足りなかった人は、
学校の先生や、友達、恋人、上司といった人たちに甘えることでこれを卒業する。

2.自我の芽生え
存分に甘えると「自分は一人でもできるのだ」という確信が欲しくなる。
思春期に多く見られ、反抗期と呼ばれる。

親の(精神的な)束縛が強い場合などは、成人してもこの段階に精神的には
留まっている場合もある。

3.限界の認識
「自分は一人で何でもできる」と息巻いて頑張ってきたのが、
自分のちっぽけさに気付く。よく言えば謙虚になる。

4.社会的適応
ちっぽけな自分は、社会に”あわせて”生きることになる。
社会的(流動的なもの)なステータスを大切にする。
収入、肩書き、見栄え、評判などを大切にする。

5.消費の飽き
ステータスを求めて努力することに疲れつつ、
虚しさを味わいはじめる。社会的ステータスが
自分を本当に幸せにしてくれるのかを疑問に感じるようになる。

6.自己の確立
消費者(物を買う、ステータスを買う)であることをやめ、
自分を大切にし始める。
自分の内的な感覚を重視するようになる。

周囲からはワガママにとられたり、友達と疎遠になったりする
リスクがある。その葛藤を乗り越えると、
深い確信が持てるようになる。

自分の能力を最大限発揮するようになる。

7.利他の芽生え
職人的に自己の理想を追求していたものが、
「やはり、人のためになることが喜びだ」という深い確信にいたる。
これは社会的適応のレベルにある人の利他行為とはレベルが違う。
自分の存在をかけて、相手のために頑張れるようになる。
相手のためにしたことが、自分にどう返ってくるかの興味が
少なくなってくる。

8.自己放擲
常に動揺せず、為すべきことを為すようになる。
自我への執着が非常に少ない。
全てのものに平等に愛を感じるようになる。
ひたすら善行を為す。

9.解脱
カルマの法則から解かれ、解脱する。

1~3は生理的欲求と安全の欲求
4は所属の欲求
5と6は自我の欲求
6から7くらいが自己実現の欲求にほぼ対応しているように思う。

この9ステップは時代性があって、
たぶん他の時代では通用しないコンセプトだ。

3 Comments » | 2009/1/20(火) 5:37

純質

category : enhanced life, 社会論・心理学・科学・教養・宗教など

自己の自由意志は、自己の放棄のためにある。
このパラドックスには感動だ!

もう少し分かりやすい表現なら、
人間は自由意志を持っている。
人間は自由意志を、自我を放棄することに使うことによって、
本物の自己に至ることができる。

——-

絶え間なく六門(五感+心)から流入する刺激により、
自動反応プログラムは起動し続けている。

僕らは、意識的に行動していると思っているけど、
僕らは、極めて自動反応的に行動している。

今、あなたの足は組んでいる?
普通に座っている?
右手の位置は?机の上?
角度は?
それは全てあなたが意志を持って決めたこと?

凡俗の僕らの行為は、ほとんどが自動反応的だ。
でも、僕らにはその自動反応プログラムを書き換える
力が与えられている。

———–

痛かろうが、痒かろうが、心地よかろうが、
甘かろうが、辛かろうが、
花の香りだろろうが、ゴミの匂いだろうが、
美しかろうが、醜かろうが、
歌姫の声だろうが、外れた音だろうが、
それによって動揺しない。

常に、為すべきこと、自由意志によって為す。

ほとんどの感覚は僕を惑わすものであって、
惑わされず、本質を為す。

———–

純質(サットヴァ)
激質(ラジャス)
暗質(タマス)

ラジャスは、活動であり、執着と渇愛を生む。
タマスは、無知であり、怠惰を生む。

サットヴァは真実、捨離、寂静、威光、忍耐、平安、博愛、謙虚であり、幸福を生む。

自分の自動プログラムを純質に染め上げていくことが、
幸福への道だ。

バガヴァット・ギーター(ヒンドゥー教の古典)は、
純質の本質は自己放擲にあると説いている。

————–

僕にとってのタマスは、二度寝、ネットサーフィン、読書への逃避。
僕にとってのラジャスは、酒欲。

こいつらを生活の中から追放し、
汚れのない、質の高い生活を構築する。

そしてもっともっと修養を積んで、
汚れを取り除き、
本来の自己の発露によって、
世界の光明となれ。

————

Comment now » | 2009/1/16(金) 18:34

人員削減=株価向上?

category : enhanced life

SONYがレイオフを発表したら、株価が上がったそうで、
個人的にはなんだかなぁと思います。

なんなんだろう、株主って。

もちろん怠慢によって企業価値が下がることもあるし、
そういう怠慢に活を入れるのに、
レイオフっていう手段が有効なときもあるかもしれないけど。

誰かが職を失って、
自分の子どもを養うのにも困ることになった状況を、
株主は喜ぶ(=株価が上がる)ってのって、
なんか直観的におかしくないですか?

いや、僕はそんなに派遣社員の人たち擁護派じゃなくて、
やっぱり正社員の方が努力してたり、
苦労してたりする人が多いと思ってて、
順番として派遣社員、契約社員からレイオフの対象になるのは
しょうがないと思うんだけど。しかし。

松下幸之助みたいな経営者が出てこないもんなんんですかねぇ。
「僕ら、家族やないか。
 誰もクビにはしない。
 給料は全員減らそう。工場もとめなあかん。
 それで、全員で販売を頑張ろうやないか」
その言葉で、経営幹部は心底感動し、
経営幹部から従業員にそれが伝わり、
みんな猛烈に働く、そういう経営者が。

そういう会社の株価が上がるってのは分かるんだけれども。

もちろん産業の隆盛の潮流はあるし、
労働の流動性もそれに対応できるようなものが
あったらいいとも思うんですけれど。しかし。

渋沢栄一のような人が、今の株主を見たら、
烈火のごとく叱咤するんじゃないかと想像してみたりします。

Comment now » | 2009/1/12(月) 17:56

意識的?

category : enhanced life

「暴走する脳科学」(光文社新書)を読みました。

リベットの実験というのが非常に興味深いものでした。
詳しくは本を読んで欲しいのですが、かいつまんで言うと

■行動の準備⇒意識を伴った願望⇒行動
■の順番で行動は起こる。
■意識⇒行動の準備⇒行動ではない。

ということでした。
面白いなぁと。

そこから展開して、人間の自由意志について論じています。
リベット自身は「人は自発的に動いていると思うのは錯覚である」
「動くを”禁止するか”"そのまま動くか”の裁量は人間の意識に残されている」
という考え方をしているようです。

筆者の河野哲也氏は、これには反対の立場のようで、
人間には自由意志があるのだ、と言いたいようです。
また多くの西洋の哲学者、科学者がリベットに反対する立場をとっているようです。

でも、僕は自分の行動のほとんどが無意識的なものだと思うんですね。
今、これを読んでいるあなた、
足を組んでいますか?
組んでいない?

それって、そんなに明確に意識して「こうしよう!」と思ってそうしていましたか?

ほとんど無意識的だったのではないかと思います。

人間の行動って、ほとんどが無意識的で、
ほんの一部だけが、僕たちが「思考している」「意識している」と
感じる部分にあがってくると思うんですよね。

僕は最近仏教的世界観が強かったりするわけですが、
僕らに思考能力があるというのは「プログラミングする力」を与えられているのでは。
と思うのです。

僕らの行動のほとんどは無意識的で、
つまり自動反応的で、習慣的です。

その無意識的な、自動反応的な、習慣とも呼べるプログラムを
どう「よりよいものに書き換えていくか」というのが
思考であり、理性であり、自由意志なんじゃないかと。

僕は深く考え、深く反省し、
自分のプログラムをより良く書き換えていく
(それは大概、面倒で、辛くて、逃げたくなることだけど)
そういうことを弛まず続けていきたいな、と思います。

以下、年明けに殴り書きしていたもの。
自分の記憶のためにも貼っておきます。
————
感覚の奴隷になるな。
主人は精神だ。

絶え間なく六識が働いている。
しかし、刺激と反応の間には、自由意志を入れ込む余地がある。

どんなに暑さが皮膚を刺激しても、それに惑わされない精神を持つことはできる。
どんなに胃袋がモノを欲しても、それに惑わされない精神を持つ事はできる。

一つ一つの行為を、自由意志によって行なおう!
ゆっくり丁寧にやれば、全ての行為を愛に染め上げることができる!

———–

「自分の考え」というのはないなぁ。
ものすごいスピードで自動反応している。
それは潜在意識が超スピードで情報処理して”反応”しているからだ。

自由意志、を持とうとした時、
まず自動反応があることを見定めないといけない。
ほとんどの行動は自動反応に過ぎない。

善行が自動反応になるまで、
善行を意識的に積まなければいけない。
バスケットボール選手が無意識でもドリブルができるまで、
ひたすらドリブルを意識的に練習するように。

自分は自分の意志によって行動していると思っていたけれど、
ついこないだ、嬉しい発見によってそれは破られた。

一つのドアに向かって歩いていて、
他の人も歩いてきていて、僕はちょっと待った。
無意識に。

その瞬間、自分が無意識に人に先を譲ったことを認識した。
僕は意志によって人に譲ったのではなくて、
自動反応によって人に譲っていた。

僕はずっと意識的に、人に先を譲るようにしてきた。
エレベーターでもほとんどの場合、ボタンの位置に立って
「開」を最後まで押して最後に出て行くように意識的にしていた。

今でも意識的にしているし、
意識的にしかできないからこそ、
他の人が無愛想にエレベーターを先に出て行くと実はちょっとムッと感じてたり、
すっと会釈してもらえると凄く嬉しかったりしている。

でも、無意識的に人に譲ることもあるのだ、
と分かって僕は凄く嬉しかった。
僕の自動反応のプログラムが昔よりよくなっていると実感できた。

いい方を書いたけど、ダメなほうの自動反応はその100倍ある。

カルマの掃除をして、
自分の自動反応プログラムが慈悲の色に染まりあがるようにしていきたい。
それまでは、意識的にプログラミングしていくしかない。

———–

刹那ごとにに自分のカルマは注意の方向性を定めて、
注意を向けた識門から刺激を受けて自動反応プログラムが発動する。

———–

僕は「考える」ということに沈潜しようとする癖がある。
これは完全に癖で、これも自動反応なんだな。
考えてると快感ホルモンが分泌されてしまう。

無心に何かに打ち込むというのが下手だ。
靴磨きと食器洗いくらいかなぁ、無心に打ち込めるのって。

無心にどんな仕事にも打ち込めるようになりたいなぁ。

———–

ああ渇愛!
今この瞬間にも、のどはコーヒーを欲し、
胃は食べ物を欲しがっている!

この感覚を精神から引き離すのは容易なことではない!

———-

この渇愛を本当に寂滅しつくすには、
本格的な修行生活が欠かせないだろうな。
仏陀ですら7年も苦行生活を送っている。

今の僕には本格的な修行生活は難しい。
少しづつやるしかない。

引退後のお金も安心できるような状態にして、
子どもも自立させて、
60歳とかになったらプチ出家するかなぁ。

ひたすら瞑想して。
ひたすらカウンセリングして。
庵を構えるような感じで。

自分に求められる責任が大きくなっていれば、
1人でも多くの人のために働きたいな。
それは祈りの道かもしれないし、
講演のようなものかもしれないし、執筆かもしれないし、
カウンセリングかもしれない。
いずれにせよ、命の限り、社会のために働きたい。

——–

今がすでにそうじゃないか。
瞑想をして。仕事をして。

僕自身は未熟で、煩悩にまみれているけれど、
この道を弛まず歩み続けていけばいい。

———

Comment now » | 2009/1/11(日) 16:39

焦らず怠けず一歩づつ

category : enhanced life

新年早々、夢から喝を入れられたわけですが、
早くも1日24時間じゃ足りない感じになってきました。

よく分からないながらも今年はとにかく瞑想を続けてみようと思って、
amazonで瞑想関係の本を年末に買い込んで、
それで短い時間でも瞑想してるんですが、
瞑想中に気づいたことがあります。

自分の中に、焦りと怠け心が両方あるんですよね。

なんかこう、焦ってる。
生きてる間に地球がいい方向にいくには時間が足りないだとか、
自分の力の小ささだとか、
他人より秀でていたいだとか、
そういう焦りが。

焦っている一方、身体も疲れてる気がしたりとか、
瞑想中もすぐ眠くなったりとか、
これはつまり現実逃避というか、
「少しくらいサボっても変わらないでしょう」みたいな
そういう気持ちがあるわけです。

焦ってもしょうがないし、怠けてもいいことないし、
そういう気持ちが自分の中にあることをちゃんと認めて、
手放せるといいんですが。

今この瞬間でできることを一歩づつやるだけなんですよね。
なかなかその無執着の境地にはたどり着きませんが、
それこそ、一歩づつやっていこうと思います。

Comment now » | 2009/1/6(火) 7:54

昨日の夢

category : 未分類

前回のエントリー(は1月3日に原稿を書いていました)を書いて、
それから今朝、惰眠をむさぼっていた時に見た夢。

僕は体育館にいて、
かつて自分がそうだったように、
バスケットボールをやっていました。

後輩がタラタラとゲームをやっているので
「やる気がないなら帰れ!」
と一喝する、そんな夢でした。

僕にとって高校のバスケ部時代は、
最高の思い出の一つです。
真剣に、必死に、自分のできる限りを尽くして、
毎日が充実していた。

本当に夢はよくできているなぁと思います。
夢を自分の中でピタッと解釈できることは多くはないけど、
意味が分かった時は揺るぎない確信が持てます。

9時過ぎまで寝てる場合じゃないんですね。
「やる気がないなら帰れ!」
テキトーにやっている後輩を見て、
一番イライラさせられていたのは僕自身でした。

もう三が日にも終わりました。
御正月気分も堪能したことだし、
今から、真剣勝負でやっていこーっと。

Comment now » | 2009/1/4(日) 10:16

2009年の抱負

category : enhanced life

明けましておめでとうございます。

今年は捨てるということをテーマにしていこうかなと思います。
何を捨てるって我(が)を捨てる。

我を捨てて、人間本来の特質を遺憾なく発揮していきたいと思います。

今の僕のイメージでは我というのは、
つっかえ物というか、管につまった小石というか、
ホントはどぅわーっっと勢いよく流れ出るところを、
止めちゃうモノ、そういうイメージなんです。

だから、心を掃除して、掃除して、
人間本来の性質が光り輝くように、
心を磨き上げていきたいと思うのです。

多分、心を磨くという作業はたいして楽しくもない気がします。
辛いときもあるかもしれません。
忘れてたような傷跡を見つけちゃったり、
端っこにこびりついた汚れとか、
まぁそういうものを一生懸命掃除する。

それでも、自分を掃除するということを続けていくと、
自分を磨くということを地道にやっていくと、
僕という存在は光を見事に反射させる宝石になれるのだと思います。

炭もダイヤモンドも同じ炭素だけれど、
光を受けて輝くのは、よく磨かれたダイヤモンドです。

たいして楽しくもないそんな作業をやっていくと、
少しは美しく光を反射させられるようになれば、
それを見て喜んでくれる人がいるはずです。

その爽やかな優しい笑顔を見ると、
心の底に、嬉しさや喜びが流れるんです。
深い喜びが。

笑ってしまうくらい煩悩の塊の僕は、
その一つひとつを無視することなく、よく観察して、
素直に生きていきたいと思います。
抑圧することなく、一つづつ、焦らず滅却していきたいと思います。

マクロとミクロの話はいつも絡み合っていて、
上手く整理するのはとても難しいのですが、
先にマクロ的な視点から。

自分を捨てれば捨てるほど、
本当は喜びが深くなり、
それこそが世界に平和と幸福とをもたらす間違いのない方法なのだという
ことは、マクロ的には”正しい”ことだろうと思います。

マクロでいけば、僕はそれをこそ仕事にしていこうと思います。
幸福の本質を深く探求し、
人間の本質を深く探求し、
資本主義に変わるコンセプトが必要ならば、
躊躇することなく、本質的に思考して、
そういうことを仕事にしていきたいと思います。

一方で、ミクロ的視点では”正しさ”など、いつも虚しい。
あなたにはあなたの人生があり、
私には私の人生がある。

親に甘えたことのない孤児に
「甘えを捨てろ」などと言っても、
持ったこともない甘えをどうやって捨てろというのか?

僕は、正しさを振りかざして自分はいつも安穏としている賢者でいるより、
自分の子どもの病気のために必死になれる母親のようでいたい。

僕は今年はもっともっと必死に生きていきたいと思います。
真剣に。懸命に。

スポーツ選手なんかの姿を見ると
「そこまで”努力”というのはできるものなのか!」
と感動させられます。

僕の人生は、残念ながら現役のスポーツ選手ほどのシンプルさは
ないわけで、努力の複雑さにも気を使わないといけないわですが、
努力という物差しで、僕が彼らに劣っていていいというのは言い訳に過ぎないのです。

才能の問題ではなく、真剣さという問題。

もちろん僕には、休養や娯楽は必要で、
なんでもかんでもストイックにやればいいってものでもないわけですが、
それも含めて、今年は、真剣に生きたい。

この地球に、この時代に人として生まれ、
やはり僕が為すべきことは掃除だろうと思います。

積もった埃、
こびりついた汚れ、
少しでもキレイにしていきたい。

真剣に掃除をしよう。
必死に掃除をしよう。

自分の家を掃除しながら、
人が呼んでくれるなら、人の家だって必死に掃除しよう。

それこそが僕の使命で、
それこそが僕の生きがいなのだから。

そうだ、掃除の達人になりたいんだな。
人の家だろうが、自分の家だろうが、
掃除をするところがあれば、そこで掃除をすればいい。

穏やかさと必死さと、
矛盾させることなく、
僕の中に同居させて生きていこう。

1 Comment » | 2009/1/4(日) 10:09