Enhanced Life based on Passion and Chance
パーソナルキャリアコーチ石川英明のブログ
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キャリアの考察を軸に、気の向くままにテーマを選んで思考を深めていくブログです。
ゆとり教育の弊害について語られるもの
category : enhanced life, キャリア・就職・転職
ウィルシードの池谷さんが著作を出された。
非常に興味深い内容であった。
物事は様々な観点から語ることが可能だと思うが、
「ゆとり教育世代」を対象にしつつ、
別の観点から放談したいと思う。
まず一般的に、違和感のある存在が現れたときに人がとる反応は
・卑屈になる
・恐怖する
・支配しようとする
・無視する
・理解しようとする
など様々なものがある。
ゆとり教育世代に対して描かれる論調のほとんどは
「支配しようとする」ものだと感じる。
なぜこのような反応パターンになるかというと、
・違うと感じる
・その違いは優劣の違いであり、自分のほうが優れていると解釈する
・相手を変えようとする
という思考プロセスがあるからだ。
“今の若いやつは”自分たちよりも劣っているとする方が、
大人たちはラクだからだ。
日本という同一文化で育っているという意識も前提にある。
「同じであるべきだ」
と思うわけだ。
同じであるべきで、自分たちのほうが優れているのなら、
相手が変わるべきということになる。
しかし、もしアメリカ人が違和感のある行動をとれば、
理解しようとするかもしれない。
少し時間がかかっても語り合うかもしれない。
ここには対等な関係、もしくは相手の方が上位であるという意識が働いているはずだ。
もしくは、違いを無視するかもしれない。
この関係は限定的という意識があるとそうなるだろう。
「ゆとり社員の処方せん」の中にこんな感じの例があった。
“「その日は海外から一時帰国する友人と会える唯一の日だから休みます」
忙しさのピークの日に休みを取ろうとする。”
これは”問題あるゆとり社員の行動”の文脈で描かれているから、
読み手は安心して読める。
しかし、同じ事象が「フランス人は自由に休みを取る」という文脈で語られていれば、
全く違った受け取られ方をするだろう。
同じ事象であるにもかかわらず。
僕たちは、自己変革を迫るものを怖れる。
無意識にそれを拒否する。
「フランス人は自由に休みを取る」とあれば
「フランスの会社であれば自由に休みをとれるのに」と主語をすりかえる。
自分がフランス人のようにならないといけないとは思わず、
会社を主語にして非難して自分は変わらなくてすむようにする。
「今の若い人は勝手に休みを取る」とあれば
「そんなものをけしからん」といって、自分が変わる必要性は認めない。
そういう勝手な思考を、すぐにするのが人間の脳だということを、
僕たちは忘れてはいけないと思う。
自分と違う”異物”に出会ったとき、
「変わるべきは我か?汝か?」
という問いは常にもっているべきだと思う。
一方的に相手の方が悪いということなど、世の中にはほとんどないのではないか。
ゆとり教育世代が、僕たち先人に対して発している警告をも
“今の若いやつらは”によって葬ってはならない。
もちろん若い彼らに教えなければならないことはあるだろう。
しかし、若い彼らから学ばなければならないこともまたあるはずではないか。
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