Enhanced Life based on Passion and Chance
パーソナルキャリアコーチ石川英明のブログ
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キャリアの考察を軸に、気の向くままにテーマを選んで思考を深めていくブログです。
意識的?
category : enhanced life
「暴走する脳科学」(光文社新書)を読みました。
リベットの実験というのが非常に興味深いものでした。
詳しくは本を読んで欲しいのですが、かいつまんで言うと
■行動の準備⇒意識を伴った願望⇒行動
■の順番で行動は起こる。
■意識⇒行動の準備⇒行動ではない。
ということでした。
面白いなぁと。
そこから展開して、人間の自由意志について論じています。
リベット自身は「人は自発的に動いていると思うのは錯覚である」
「動くを”禁止するか”"そのまま動くか”の裁量は人間の意識に残されている」
という考え方をしているようです。
筆者の河野哲也氏は、これには反対の立場のようで、
人間には自由意志があるのだ、と言いたいようです。
また多くの西洋の哲学者、科学者がリベットに反対する立場をとっているようです。
でも、僕は自分の行動のほとんどが無意識的なものだと思うんですね。
今、これを読んでいるあなた、
足を組んでいますか?
組んでいない?
それって、そんなに明確に意識して「こうしよう!」と思ってそうしていましたか?
ほとんど無意識的だったのではないかと思います。
人間の行動って、ほとんどが無意識的で、
ほんの一部だけが、僕たちが「思考している」「意識している」と
感じる部分にあがってくると思うんですよね。
僕は最近仏教的世界観が強かったりするわけですが、
僕らに思考能力があるというのは「プログラミングする力」を与えられているのでは。
と思うのです。
僕らの行動のほとんどは無意識的で、
つまり自動反応的で、習慣的です。
その無意識的な、自動反応的な、習慣とも呼べるプログラムを
どう「よりよいものに書き換えていくか」というのが
思考であり、理性であり、自由意志なんじゃないかと。
僕は深く考え、深く反省し、
自分のプログラムをより良く書き換えていく
(それは大概、面倒で、辛くて、逃げたくなることだけど)
そういうことを弛まず続けていきたいな、と思います。
以下、年明けに殴り書きしていたもの。
自分の記憶のためにも貼っておきます。
————
感覚の奴隷になるな。
主人は精神だ。
絶え間なく六識が働いている。
しかし、刺激と反応の間には、自由意志を入れ込む余地がある。
どんなに暑さが皮膚を刺激しても、それに惑わされない精神を持つことはできる。
どんなに胃袋がモノを欲しても、それに惑わされない精神を持つ事はできる。
一つ一つの行為を、自由意志によって行なおう!
ゆっくり丁寧にやれば、全ての行為を愛に染め上げることができる!
———–
「自分の考え」というのはないなぁ。
ものすごいスピードで自動反応している。
それは潜在意識が超スピードで情報処理して”反応”しているからだ。
自由意志、を持とうとした時、
まず自動反応があることを見定めないといけない。
ほとんどの行動は自動反応に過ぎない。
善行が自動反応になるまで、
善行を意識的に積まなければいけない。
バスケットボール選手が無意識でもドリブルができるまで、
ひたすらドリブルを意識的に練習するように。
自分は自分の意志によって行動していると思っていたけれど、
ついこないだ、嬉しい発見によってそれは破られた。
一つのドアに向かって歩いていて、
他の人も歩いてきていて、僕はちょっと待った。
無意識に。
その瞬間、自分が無意識に人に先を譲ったことを認識した。
僕は意志によって人に譲ったのではなくて、
自動反応によって人に譲っていた。
僕はずっと意識的に、人に先を譲るようにしてきた。
エレベーターでもほとんどの場合、ボタンの位置に立って
「開」を最後まで押して最後に出て行くように意識的にしていた。
今でも意識的にしているし、
意識的にしかできないからこそ、
他の人が無愛想にエレベーターを先に出て行くと実はちょっとムッと感じてたり、
すっと会釈してもらえると凄く嬉しかったりしている。
でも、無意識的に人に譲ることもあるのだ、
と分かって僕は凄く嬉しかった。
僕の自動反応のプログラムが昔よりよくなっていると実感できた。
いい方を書いたけど、ダメなほうの自動反応はその100倍ある。
カルマの掃除をして、
自分の自動反応プログラムが慈悲の色に染まりあがるようにしていきたい。
それまでは、意識的にプログラミングしていくしかない。
———–
刹那ごとにに自分のカルマは注意の方向性を定めて、
注意を向けた識門から刺激を受けて自動反応プログラムが発動する。
———–
僕は「考える」ということに沈潜しようとする癖がある。
これは完全に癖で、これも自動反応なんだな。
考えてると快感ホルモンが分泌されてしまう。
無心に何かに打ち込むというのが下手だ。
靴磨きと食器洗いくらいかなぁ、無心に打ち込めるのって。
無心にどんな仕事にも打ち込めるようになりたいなぁ。
———–
ああ渇愛!
今この瞬間にも、のどはコーヒーを欲し、
胃は食べ物を欲しがっている!
この感覚を精神から引き離すのは容易なことではない!
———-
この渇愛を本当に寂滅しつくすには、
本格的な修行生活が欠かせないだろうな。
仏陀ですら7年も苦行生活を送っている。
今の僕には本格的な修行生活は難しい。
少しづつやるしかない。
引退後のお金も安心できるような状態にして、
子どもも自立させて、
60歳とかになったらプチ出家するかなぁ。
ひたすら瞑想して。
ひたすらカウンセリングして。
庵を構えるような感じで。
自分に求められる責任が大きくなっていれば、
1人でも多くの人のために働きたいな。
それは祈りの道かもしれないし、
講演のようなものかもしれないし、執筆かもしれないし、
カウンセリングかもしれない。
いずれにせよ、命の限り、社会のために働きたい。
——–
今がすでにそうじゃないか。
瞑想をして。仕事をして。
僕自身は未熟で、煩悩にまみれているけれど、
この道を弛まず歩み続けていけばいい。
———
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