Enhanced Life based on Passion and Chance
パーソナルキャリアコーチ石川英明のブログ
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キャリアの考察を軸に、気の向くままにテーマを選んで思考を深めていくブログです。
大人の4つの側面
category : enhanced life
今考えているのは「市民」ということです。
僕は大人には4つの側面があると考えるようになりました。個人、家庭人、職業人、市民の4つです。
今は、個人と市民がないがしろにされている。そんな感じがしています。
「個人」が大切にされないことは、これはこれで大事な問題で、よく考えて行動していきたいのですが、今回は市民ということについてフォーカスしたいと思います。
今、時間の使い方として月-金は職業人、土日は家庭人という大人が多いのではないでしょうか。職業人が圧倒的に割合が高く、そして多くの場合、職業人の目的変数は「自社利益の最大化」であり、ルールは弱肉強食、もう少しマイルドに言うなら適者生存です。
競争、切磋琢磨、成長という側面はあってよいと思います。というか、大事な側面の一つだと思うのですが、問題は偏りです。
切磋琢磨、成長ということ以外に、共通善、全体最適の探求などが大人の時間割に必要と思うのです。
例えば、適者生存社会では、先天的な障害を持って生まれた人は「役立たず」になってしまう。自分たちが選んだわけではない親の虐待によって心を閉ざした人は「社会不適合者」となってしまう。身体能力が減退してきた老人も「社会的コスト」などとみなされてしまう。
自分の子供がたまたま献上であったことで、健常者中心の世界を創ってしまう。例えば、自分の兄弟の子供に、そういう子がいたら、同じ行動は取らないだろうに・・・と思います。
雑なまとめ方になってしまいますが、私たちは「自分さえよければいい」という価値観にどっぷり浸ってしまっていると思うのです。(それが、結局、自分たちの首を絞めているとも思います)
福島に原発がある(東京にはない)
レイオフをして雇用を失う人がいて、その企業の株価が上がる、
沖縄に他国軍の基地がある(基地を持ち回りにしましょう、などという話にはなってない)、
財政赤字がずっと続いてる(いつの世代が、そのツケ(まさにツケですね)を払うことになるのか)。
こういうことは、僕は「自分さえよければいい」に根差している気がするのです。
うちの会社さえよければいい、
東京さえよければいい、
日本さえよければいい、
自分さえよければいい・・・。
故・河合隼雄先生が、こんなようなことをどこかに書いていました。
「自立という言葉が人気になって久しい。昔は”大人になる”とか、”一人前になる”という言葉が使われていた。自立が孤立にならないといいですね。一人前になるっていうのは、家族とか、地域とか、そういうのを背負って立つようなそんなニュアンスもあったかもしれない」
マイケル・サンデルが、あれほど着目されているのも、
私たちはどこかで「どこかがおかしい」「このままではいけないんじゃないか」
って感じてるからだろうとも思うのです。
私たちは、自分と直接かかわりのない、多くの支えや貢献によって生きています。極論すれば、日本語は私たちが作ったものではないし(それを使って私たちは生きていますね)、今の豊かな日本も、平和な日本も、自分たち(だけ)で作ったわけではない。否応なしに私たちは社会の文脈の中に生きているはずです。
その社会の文脈には負債もあるかもしれない。
でも、多くの資産をいただいて、私たちは生きているはずです。
そこに目を向ける。
それが市民としての自覚を持った生き方なんじゃないかな、
そんなことを最近考えているのです。
日本という国は考えるのには大きすぎとしても、
例えば、東京という街を、私たちはどんな街にしたいのか?
どんな東京を、子供や孫に渡していきたいのか。
どんな価値観が大切にされ、
老人や、障害者や、健常者や、うつ病の人や、能力の高い人たちが、
どんな生活を織りなす社会にしたいのか。
そういうことを考えて、実現に向けて行動していく、
その時間を取る、ということが必要なんじゃないかと思うのです。
「それは、政治家や行政、NPOやボランティアの人たちがやってくれればいい」というようなものではないと思うのです。
むしろ、私たちは、自分たちの住みやすい社会、誇らしい社会、次の世代に渡していきたい社会を創る、その権力を取り戻さないといけない。他人任せにするようなことではないと思うのです。
「投票」という、民主主義のほんの一側面の行為によっては、市民として十全に生きているとは言えないのではないか、
自分たちの街のこと、社会のことについて、
考え、調べ、話し合い、行動していく。その時間を私たちは持った方がいいんじゃないか、そんなことを思います。
今私が描いているビジョンは、
月火水木金土日が、職業人と家庭人だけの時間割ではなく、
例えば、月・火・木・金は職業人としての日
水曜は市民としての日
土曜は家族との日、
日曜は自分のための日、
そんな時間割になること。それが大きな意味を持つのじゃないか、そんなことを考えています。
正しいのか、効果的なのかは分かりません。
やってみて、ダメなところもたくさん出てくるでしょう。
でも私は、試行錯誤しながらも、やっていこうと思います。
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