Enhanced Life based on Passion and Chance

パーソナルキャリアコーチ石川英明のブログ

パーソナルキャリアコーチ石川英明が、
キャリアの考察を軸に、気の向くままにテーマを選んで思考を深めていくブログです。

目的の成長

category : enhanced life

第一に、目的をもつこと。目的を持てば時間に意味を付与できるようになる。意味の喪失に苦しむことはない。どのような大きさ小ささでも、確かさ不確かさでも構わない。本物の内発的な目的を持つこと。

目的は、行為に意味を与える。目的によって行為は「目的に近づいた行為」と「目的から遠ざかる行為」とに識別される。「目的から遠ざかる行為」はネガティブだとしても、虚無ではない。

目的は、外因と行為、内発的解釈によって生成され続ける。行為は外因と内発的解釈の接点である。ある内発的解釈に基づいた行為が外部にたいして期待通りの効果をもたらすとき、内発的解釈は強化される。目的も同一方向性に強化される。ある行為が内発的解釈の期待と異なる結果となると、内発的解釈は揺らぎ、目的そのものの再設定を迫ることがある。

第二に、正しい目的を持つこと。正しい目的が永続的な充実を時間にもたらす。内発的であっても正しくない目的は遺伝的・社会的・宇宙的に淘汰される。もちろん、内発的でなければその目的は本当の意味で時間に意味を付与してくれない。

神でもなければ初めから正しい目的をもつことなどできない。時間に対する意味への探求を意識的にせよ、無意識的にせよ、し続けることによって正しい目的は姿を現し始める。

どのような時代、場所であっても通用する社会的な真理、宇宙の原則と内発的解釈が限りなく一致したとき、偉人が生まれる。

正しい目的は享楽的ではない。かといって、地獄であるわけでもない。試練があり、乗り越える苦しみがあり、乗り越える喜びがあり、充実がある。極めて当たり前の日常がある。

目的は成長する。
マズローの欲求段階説によれば、
生理的欲求(食べる、寝る)
安全の欲求(殺されない)
帰属の欲求(仲間がいる)
自我の欲求(仲間に賞賛される)
自己実現の欲求(なりたい姿を実現する)
と、欲求自体が成長する。(デジタルではなくアナログに成長する)

安全の欲求が充足されていない人間に「人間は自己実現の目的を持つべきだ」と説教することは無意味かもしれない。

また逆に帰属の欲求が満たされれば、自我の欲求が強くなるのは当然である。
帰属の欲求を満たすための行為だけでは、遅かれ早かれ目的の再設定を迫られるだろう。

余談だが、一見自我の欲求からの行動と見えても、帰属の欲求であることは多い。
幼少時のトラウマなどから、
社会的物差しでの成功を求めて、拡大路線をひた走るベンチャー経営者
などは、帰属の欲求すら満たされていない場合が多いのではないか。

フロイト好きなフィルタの影響はあるにしても、
家庭での愛の不足が歪んだ成人を生み出しているというのはあながち的外れでもないのではないか。

家庭が子どもの帰属欲求に十分に応えていれば、
子どもは早くから自我の欲求に目覚め、自我の欲求のフェーズでの
目的の生成を経験し、自己実現に至る可能性が広がるように、
私には思えてしかたない。

5段階のどの状態にあろうと、目的を持ち、時間に意味を付与することはできる。
“正しい目的”はそれぞれの段階によって異なる。
生理的欲求が不十分であれば、食物を確保することは正しい目的であり、
食物を確保するための能力を磨くことは、価値ある行為だろう。
自我の欲求を満たそうとすれば、豪邸、高級車、貴金属など物質的に
象徴できるものを得ようとすることも、社会的コンテクストの中では否定しがたい。

しかし、個人的に興味があるのは、「自己実現の欲求」の段階にあったとき
その「正しい目的」とは何なのか?ということだ。
自己実現の欲求はおそらく極めて内発的であり、遺伝子や社会的コンテクストの影響から外れている。であれば、目的を生成していくことすら難しい。
目的に近づいているか、近づいていないかは、極めて個人的な、内部フィードバックループによってしか確認できない。模索するしかない。

ピカソ、ベートーヴェン、アインシュタイン、マルクスなどは偉人であろうが、奇人である。
彼らは自己実現の層の住人であったのか。否か。
ピカソのように愛人同士のケンカを眺めて楽しむような奇人は、人間の精神成長の
最上位に位置するのか、否か。
そうだとも言えるかもしれないし、一形態に過ぎないとも、違うのだとも言えるかもしれない。

いずれにせよ、自分の心頭を磨きつづけることによってしか、その解に近づく道はない。

2007/6/17(日) 12:36

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